山行予定が白老めぐりに
15日(日)友人と支笏湖畔の紋別岳へ向かった。出がけは好天だったが湖に近づく頃には雨が降り出した。早々にあきらめてそのまま苫小牧方面へ車を進める。
湖畔を過ぎると徐々に天候は回復してきたが、いまさらということでドライブを続けることにした。苫小牧市内に入り標識を見て、白老へ行こうということになった。言ったのは私であるが。
30年前(!)になるが、私は白老から苫小牧に汽車通学をしていた。高1と高2の2年間である。ちょっと懐かしんでも悪くはないだろう。
だが当時は生活圏は苫小牧であり、白老自体はあまり記憶がない。国鉄職員の息子であったわたしにとって、どこへ行っても起点は駅である。白老駅は洒落たかわいらしい駅舎になっていた。すぐ近くに国鉄の官舎があったはずだが、まったく分からなかった。
あと覚えているのはポロト湖でゴーカートに乗ったことくらいか。アイヌの民芸品を売っていた店があったとは思うが、それ以外は全く記憶がない。立派な博物館やチセという住居を復元したものが設置されていた。
印象…子供の姿はあまりなく年寄りが多かった。中国語および朝鮮語と覚しき元気な声をここでも耳にした。
孫の運動会へ顔を出す
長男のお嫁さんから、今年小学校に入学した長男がリレーの選手になったとのメールをもらった。会社は休みではなかったが、比較的に余裕があったので交代休日を取った。
天候は快晴。昔長男が少年野球チームにいた頃、応援に行った学校のグランドだった。石狩街道沿いで、見上げると校舎の屋根の上に合同庁舎が見える。
各学年2クラスだそうだ。ただ現在は1クラスが20数人程度なので、自分の小学校当時と比較すると1クラス分の人数でしかない。
私は小学校の運動会は4つの学校での記憶がある。幾春別小学校、苗穂小学校、生田小学校、門別小学校。今はもう存在しない学校もあるだろう。学年1クラスしかなかった学校もあれば、10クラスあった学校もあった。しかも1クラス50人前後の時代だ。
低学年の頃は、合図のピストルが怖くてスタートがいつも遅れた。4、5年の頃からそれに慣れ、運動会が楽しみになったという記憶がある。
孫はそれなりに頑張った。1番にはなれなかったが、ベストを尽くしたようだ。
ハイデルフォーラムをのぞく
ハイデルのユーザー会なのだろう。私は初めて出席した。会場のRホテルが見つからず、遅れてしまった。私が記憶していたのは別のホテルであった。
テーマは「印刷業におけるブルーオーシャン戦略」。あらゆる産業の多くの企業は、レッドオーシャン(赤い海)で「しのぎ」を削っている。限られたパイを奪うために、終わりなき価格競争を戦っている。技術の進歩は、製品のコモディティ化に拍車をかけ、「血みどろの」競争を繰り広げている。ここから抜け出す戦略が必要。競争相手のいない(少ない)市場の創出、価値を高めコストを下げる、差別化を追求する戦略の構築…それがブルーオーシャン。
昨今の「業態変革」をより強烈な言葉で語っているような気もする。御説ごもっともだが、3時間は疲れる。不覚にも居眠りをした瞬間が何度かあった。講師の先生、失礼しました。
この1週間、禁煙しているが、やけに眠たくなる気がしている。