山行予定が白老めぐりに

15日(日)友人と支笏湖畔の紋別岳へ向かった。出がけは好天だったが湖に近づく頃には雨が降り出した。早々にあきらめてそのまま苫小牧方面へ車を進める。
湖畔を過ぎると徐々に天候は回復してきたが、いまさらということでドライブを続けることにした。苫小牧市内に入り標識を見て、白老へ行こうということになった。言ったのは私であるが。
30年前(!)になるが、私は白老から苫小牧に汽車通学をしていた。高1と高2の2年間である。ちょっと懐かしんでも悪くはないだろう。
だが当時は生活圏は苫小牧であり、白老自体はあまり記憶がない。国鉄職員の息子であったわたしにとって、どこへ行っても起点は駅である。白老駅は洒落たかわいらしい駅舎になっていた。すぐ近くに国鉄の官舎があったはずだが、まったく分からなかった。
あと覚えているのはポロト湖でゴーカートに乗ったことくらいか。アイヌの民芸品を売っていた店があったとは思うが、それ以外は全く記憶がない。立派な博物館やチセという住居を復元したものが設置されていた。
印象…子供の姿はあまりなく年寄りが多かった。中国語および朝鮮語と覚しき元気な声をここでも耳にした。

今回も藻岩山で我慢

昨日ほどではないが良い日和である。多少風があるのでかえって良いかも。
早めに家を出たかったが、またいつものように壊れかけた父親に時間を取られる。結局行き先はまた近場である。
久しぶりにスキー場の方から登る。慈恵会登り口より初めの傾斜がきついが、道は乾いており歩きやすい。
頂上まで55分。こんなものだったろうか。天候のせいもあり家族連れが多い。
展望台の中のお店の様子が変わっていた。ラーメン屋さんが店じまいし、レストランも模様替えをしたようだ。
帰りは途中からスキー場の斜面を降りた。山道を戻るより10分ほど早く下山できたようだ。

今年初めて塩谷丸山へ

すばらしい天気。だがいつものように決断が遅れ、近場の選択となった。
途中でおにぎりを買って11時少し前に駐車場に着く。駐車場といっても民家のすぐそばの道路脇である。登り口の近くのお宅はさぞ迷惑なことだろう。申し訳ないことである。
11頃、記帳所を通過。道は乾いて歩きやすい。途中は両サイドとも見晴らしは良くないが、たかだか1時間の辛抱である。
12時を少し回って頂上に。錨を祀った祠がある。積丹方面の海岸線、ニセコの山々がはっきりと眺められる。羊蹄も頭が見えた。小さな山だが、天気の良い日は本当に見晴らしが良い。
15分ほどの滞在で下山。13時10分着。

壊れそうな父親

父の様子が気になっている。記憶力の減退に拍車がかかり、5分前の話題を繰り返す。
つい10日前に母の納骨をしに、できたての墓へ行ってきた。父から「立派な墓を建ててくれた」と珍しく感謝の言葉をもらった。墓の前での記念写真を本人に渡した翌朝に「墓はどうなった」と言い出す。
認知症に足を踏み入れると、事柄の印象度とか重要度とかは関係がないのかもしれない。
ただ、「俺はどうしちゃったんだろう」ともらすことがある。ということは、まだ決定的な状態ではないのだろうか。
だが、確実に時計の針は進んでいる。

孫の運動会へ顔を出す

長男のお嫁さんから、今年小学校に入学した長男がリレーの選手になったとのメールをもらった。会社は休みではなかったが、比較的に余裕があったので交代休日を取った。
天候は快晴。昔長男が少年野球チームにいた頃、応援に行った学校のグランドだった。石狩街道沿いで、見上げると校舎の屋根の上に合同庁舎が見える。
各学年2クラスだそうだ。ただ現在は1クラスが20数人程度なので、自分の小学校当時と比較すると1クラス分の人数でしかない。
私は小学校の運動会は4つの学校での記憶がある。幾春別小学校、苗穂小学校、生田小学校、門別小学校。今はもう存在しない学校もあるだろう。学年1クラスしかなかった学校もあれば、10クラスあった学校もあった。しかも1クラス50人前後の時代だ。
低学年の頃は、合図のピストルが怖くてスタートがいつも遅れた。4、5年の頃からそれに慣れ、運動会が楽しみになったという記憶がある。
孫はそれなりに頑張った。1番にはなれなかったが、ベストを尽くしたようだ。

母の納骨を終える

5月30日が四十九日忌に当たる。直前にお墓が完成し、納骨することができた。
母の兄弟は皆高齢だし、いとこ達に声をかけるのも申し訳なく、結局法要は誰も呼ばず、父と姉弟夫婦だけで済ました。
今回は初めての経験というものをいろいろとさせてもらった。葬儀自体ももちろんだが、その後の法要に伴う雑事について、また墓建立に当たっての業者との交渉等々。
父親の時は、もう少し要領良くできるだろう。

ハイデルフォーラムをのぞく

ハイデルのユーザー会なのだろう。私は初めて出席した。会場のRホテルが見つからず、遅れてしまった。私が記憶していたのは別のホテルであった。
テーマは「印刷業におけるブルーオーシャン戦略」。あらゆる産業の多くの企業は、レッドオーシャン(赤い海)で「しのぎ」を削っている。限られたパイを奪うために、終わりなき価格競争を戦っている。技術の進歩は、製品のコモディティ化に拍車をかけ、「血みどろの」競争を繰り広げている。ここから抜け出す戦略が必要。競争相手のいない(少ない)市場の創出、価値を高めコストを下げる、差別化を追求する戦略の構築…それがブルーオーシャン
昨今の「業態変革」をより強烈な言葉で語っているような気もする。御説ごもっともだが、3時間は疲れる。不覚にも居眠りをした瞬間が何度かあった。講師の先生、失礼しました。
この1週間、禁煙しているが、やけに眠たくなる気がしている。