N課長死す

11月30日、訃報が届いた。病状の悪化は数日前にも聞いていたので、覚悟はしていたが、とうとうこの日が来てしまった。
誰も予期せぬ突然の死も当然悲しいが、互いに承知しているこの最後の日を迎えるということは、うまく表現できないが異質な悲しみであり辛さであるような気がする。
1年数ヶ月に及ぶN君の闘病中の生き様には心から感服する。体調は当然良くない中、ぎりぎりまで職場に身を置いて、自分にできる仕事を探しやり続けた。終盤はすでに抗がん剤の投与を中止していたので、来るべき未来が読めていたはずだ。それなのにあの穏やかな表情は・・・・。
長い間付き合った同僚を永遠に失うという経験は、そう多くはないと思う。私たちはある意味で大切な勉強をさせてもらった。
病院のエレベーターのドアが閉じる直前に私が最後にかけた言葉は、「頑張れとは言わないよ。ボチボチやって・・・」だった。彼は笑みを返した。
何を「ボチボチ」すれば良いのだ。
N君、さようなら。

同僚の病

N君の見舞いに行ってきた。大学病院へ行くのは2回目だ。
頑健な身体を誇り、健康な日々を送っていたはずの彼の病が分かったのは昨年の夏頃だったか。
膵臓がんというやっかいなものだったが、当初は本人も病と闘う気力満々であった。医者も僅かな可能性に賭けていたのだろう。
入退院を繰り返していた中で、抗がん剤剤投与の日は無理だが、本人の強い意向で週に3〜4日は職場復帰を果たしていた。
バリバリの営業マンではあったが、この時期はもちろん内勤業務で営業サポートという役割が精一杯である。
だが9月後半で、それもあきらめなければならなくなった。覚悟を決めた入院である。
彼との出会いは、20数年前に遡る。我々は現在の職場の前の職場でも同僚だった時期があった。
数年の付き合いの後彼は今の職場に移り、全くの偶然であるが20数年後私が彼の後を追った形になった。
今年の我が社の営業成績は惨憺たる状態が続いている。すべてではないが、N営業課長の不在が一因であることは間違いない。
すでに医者からは見放されている模様。治療行為はなく、痛み止めの処方のみになっているようだ。
さすがに疲れ切った表情であったが、しっかりした対応をしてくれた。
私が彼にかけてやれる気の利いた言葉はない。ただ祈るだけだ。

酷暑の中を近場の山めぐり

8/14(火)
お盆休みで前日は墓参りだった。散歩がてらに北海道神宮に行き涼んで、ついでに円山に登ってみた。
実は初めてで、あまり期待はしていなかったが、頂上からの眺望は悪くなかった。
スニーカーで往復ができる、遊歩道の延長といったところ。
 

8/15(水)
この日も暑かったが、貧乏性のせいかじっとしていられず、定山渓の小天狗岳をめざす。
久しぶりの場所に行くので行き方も変えよう(?)と、朝里から道道1号線を通り定山渓へ向かう。冬期間は閉鎖されるが、朝里ダムを眺めながらの楽しいドライブコースである。
目的地も定山渓ダムでダム資料館のすぐ近くに登山口がある。散歩がてらの家族が数組いたが、さすがにこんな日に山に登る人には出会わなかった。
 

8/19(日)
相変わらずの晴天である。最近は藻岩山に行くか塩谷丸山に行くかと悩む。小さい悩みではあるが。前回は「円山」だったのでこの日は「丸山」ということになった。
暑い中、子供にあおられた。
 

9/1(土)
8月の後半はかなり暑さは弱まったが、この日は結構な気温に戻った。
少し遠出しようということで、道民の森の神居尻山に向かった。ここも久々だ。悩んだが、結局駐車場近くのBコースを選択。
Cコースも変わらないだろうが、なんといってもここは木段の連チャンで足の負担が大きい。
頂上はトンボが乱舞している。下りはCコースに。
 

また古い映画の話

実は「テルマ&ルイーズ」と一緒に「俺たちに明日はない」を借りていたがそのままになっていた。一般的にはこちらが知名度が高いはずだが、後回しになっていたのはちょっと暗かったという記憶のせいか。
今回鑑賞してみて、この映画は初めて観たと言っても良いという結論になった。
記憶があったのは、ラストの二人でめちゃくちゃに銃弾を浴びるシーンだけだった。
1967年の作品ということだが、最初に観たのは学生時代だったろうか。1930年代の世界大恐慌時代という背景からかちょっと重く、暗く、虚無的な感じである。私は映画通ではないから上手な解説はできない。
それにしても、私の記憶力の弱さにはあきれる。ボニーとクライドだけではなく、クライドの兄貴夫婦まで一味だったとは。まったく記憶にない。
フェイ・ダナウェイは良かった。

休日、古い映画(テルマ&ルイーズ)を観る。

ゲオを覗き、新作を探すのだがあまり観たいものがない。結局、昔観た作品を数本借りた。
なぜ「テルマ&ルイーズ」なのか。特に理屈はない。テルマ役のジーナ・デイビスが気に入っていただけだ。たしかその後、「プリティリーグ」という作品でマドンナと一緒に野球をしてたっけ。
1991年の作ということなので、15〜16年前に観たことになる。だいたいどの映画もおぼろげな記憶しかないが、この映画の結末だけははっきり覚えていた。警官隊に追いつめられ、万事休すという状態になるが、二人は投降せずオープンカーのアクセルを踏み込み断崖に向かって飛び出す。だがあまり悲壮な感じがしない。
今回DVDをおさらいして、ルイーズ役のスーザン・サランドンが40代半ば、ジーナ・デイビスが30代の半ばだったということが分かった。二人とも大柄であるが、特にテルマは180センチ近い模様。私は大柄の美人に弱い。
ひとつ気づいたことがある。テルマを色仕掛けでだまし、ルイーズの全財産を盗んで消えた若者が、実はデビュー間もないブラッド・ピットだった。今になって話題になることではあるが。

7/15白老めぐり part 2

ポロトコタンを出て、近くに何とか資料館があるという標識を目にしたので行こうということになった。
その建物は、周りに野原や樹木以外なにもないところにポツンと建っていた。「仙台藩白老元陣屋資料館(http://www.town.shiraoi.hokkaido.jp/ka/jinya/)」という。昔の記憶にはない。
中に入りハイビジョンによる説明を聞かされ、ようやく自分の無知に気がついた。
幕末の蝦夷地の統治は、松前藩がやっているとなんとなく思っていた。ところが幕府は、松前藩だけでは北方の守りが不安で、東北各藩を動員して分割警備をしていたそうだ。伊達が仙台藩ゆかりの地とは知っていたが、白老に本陣を置き、登別あたりから国後、択捉(!)までの太平洋側の広大な地域を担当していたとは知らなかった。
戊辰戦争が起こってしまい、わずか12年間で幕を閉じることになった。武具や古文書、地図、生活用品等が展示されている。この建物は白老町の施設であり教育委員会が運営しているということだった。
常駐している担当者が話し好きで、1時間をかけての説明はちょっと辛かったが、興味深くもあった。
「遊びに来たのに勉強をしてしまった。」と同伴者が笑顔で文句を言っていた。

話は全然変わるが、私の高校時代のクラスメートに「津島某」というペンネームで文章を書いていたヤツがいた。当時私はあまり文学の世界は分からず(今もだ)なぜ「津島」なのか疑問に思っていた。後に太宰の事に気付きはしたが。owl-onlineさんによる文学館の紹介記事を読み、突然40年前を思い出してしまった。
http://d.hatena.ne.jp/owl-online/20070720/1184902345 「OWL-ONLINE あうるの周り」