旭山記念公園をスノーシューで歩く
1年ぶりに旭山記念公園に行こうと思い、カメラとスノーシューを持って家を出た。
盤渓と北ノ沢を結ぶ新たなトンネルが開通したということで、ついでに幌見峠の入り口を通り越し抜けてみた。
1.6kmというから結構な長さだ。かなり遠回りをして公園に着いた。
土曜日のせいか、天候のせいか、人が少ない。
駐車していた車はそこそこあったが、この人たちは藻岩方面にでも向かったのだろうか。
体力の衰えは歴然としている。1時間も持たなかった。
久々にスノーシューを履く
年末ではなく年頭(!!)に押し入れの中を少し整理した。コミックが山になって押し込まれていたのを多少移動した。ゴルフバッグとスノーシューも取り出し、物置に移した。
正月休みの間に一度くらいスキーに行きたい、と思いながらここ数年果たしていない。今回もやはりだめだった。だが数日前に移動したスノーシューを思い出した。
旭山公園に12時頃到着。展望台方面は通行止めだが、駐車場のそばのトイレは使用可能であった。
1時間足らずではあったが、久しぶりに足跡のない雪の斜面を気持ちよく歩いた。
最近は、やはり父のことがどこか頭にあるのか、何をするにしても長時間集中することが難しい。「年内もつかどうか」などと医者に言われ、落ち着かない日々を送っていたが、最近の様子を見ると回復は無理だが多少の時間はあるのかな、という印象だ。医学的なことはもちろん分からぬが。
いずれにせよ、何も考えずに山遊びをしてみたいものだ。
2007年も終わり
間もなく2007年(平成19年)も終わる。今年は公私ともにあまり良くない年であったと前日の職場の反省会でも述べた。
確かに1年間通して営業成績は悪く、母を亡くし、会社の同僚を亡くし、更に父の余命も僅かとなっている。それでも3人目の孫が生まれ、部下同士の結婚のお祝いを自らの手で準備できた。
また母の葬儀や父の手術・入院生活という負の局面の中で、姉弟同士の会話が生まれなんとなく疎遠だった関係が少し改善されたという変化もあった。息子は職場の皆さんのおかげで働きながら大学院で学ぶ機会を与えられ、厳しいながら4月からその生活をスタートさせた。
色々考えてみると悪いことばかりではなかったかな、と思ったりもする。幸運と不運、あるいは幸福と不幸の度合いを測る基準はなんだろう?
客観的なそんな基準があるはずはない。「今」の自分にとって何が大切なのか、あるいはどういうスタンスで考えるのかで評価が分かれると思う。
悲しいこともうれしいこともいつだってあるだろう。変えられることは変える努力をしよう。少しでも皆の役に立つよう誠実に生きよう。
N課長死す
11月30日、訃報が届いた。病状の悪化は数日前にも聞いていたので、覚悟はしていたが、とうとうこの日が来てしまった。
誰も予期せぬ突然の死も当然悲しいが、互いに承知しているこの最後の日を迎えるということは、うまく表現できないが異質な悲しみであり辛さであるような気がする。
1年数ヶ月に及ぶN君の闘病中の生き様には心から感服する。体調は当然良くない中、ぎりぎりまで職場に身を置いて、自分にできる仕事を探しやり続けた。終盤はすでに抗がん剤の投与を中止していたので、来るべき未来が読めていたはずだ。それなのにあの穏やかな表情は・・・・。
長い間付き合った同僚を永遠に失うという経験は、そう多くはないと思う。私たちはある意味で大切な勉強をさせてもらった。
病院のエレベーターのドアが閉じる直前に私が最後にかけた言葉は、「頑張れとは言わないよ。ボチボチやって・・・」だった。彼は笑みを返した。
何を「ボチボチ」すれば良いのだ。
N君、さようなら。