今年初めて塩谷丸山へ

すばらしい天気。だがいつものように決断が遅れ、近場の選択となった。
途中でおにぎりを買って11時少し前に駐車場に着く。駐車場といっても民家のすぐそばの道路脇である。登り口の近くのお宅はさぞ迷惑なことだろう。申し訳ないことである。
11頃、記帳所を通過。道は乾いて歩きやすい。途中は両サイドとも見晴らしは良くないが、たかだか1時間の辛抱である。
12時を少し回って頂上に。錨を祀った祠がある。積丹方面の海岸線、ニセコの山々がはっきりと眺められる。羊蹄も頭が見えた。小さな山だが、天気の良い日は本当に見晴らしが良い。
15分ほどの滞在で下山。13時10分着。

壊れそうな父親

父の様子が気になっている。記憶力の減退に拍車がかかり、5分前の話題を繰り返す。
つい10日前に母の納骨をしに、できたての墓へ行ってきた。父から「立派な墓を建ててくれた」と珍しく感謝の言葉をもらった。墓の前での記念写真を本人に渡した翌朝に「墓はどうなった」と言い出す。
認知症に足を踏み入れると、事柄の印象度とか重要度とかは関係がないのかもしれない。
ただ、「俺はどうしちゃったんだろう」ともらすことがある。ということは、まだ決定的な状態ではないのだろうか。
だが、確実に時計の針は進んでいる。

孫の運動会へ顔を出す

長男のお嫁さんから、今年小学校に入学した長男がリレーの選手になったとのメールをもらった。会社は休みではなかったが、比較的に余裕があったので交代休日を取った。
天候は快晴。昔長男が少年野球チームにいた頃、応援に行った学校のグランドだった。石狩街道沿いで、見上げると校舎の屋根の上に合同庁舎が見える。
各学年2クラスだそうだ。ただ現在は1クラスが20数人程度なので、自分の小学校当時と比較すると1クラス分の人数でしかない。
私は小学校の運動会は4つの学校での記憶がある。幾春別小学校、苗穂小学校、生田小学校、門別小学校。今はもう存在しない学校もあるだろう。学年1クラスしかなかった学校もあれば、10クラスあった学校もあった。しかも1クラス50人前後の時代だ。
低学年の頃は、合図のピストルが怖くてスタートがいつも遅れた。4、5年の頃からそれに慣れ、運動会が楽しみになったという記憶がある。
孫はそれなりに頑張った。1番にはなれなかったが、ベストを尽くしたようだ。

母の納骨を終える

5月30日が四十九日忌に当たる。直前にお墓が完成し、納骨することができた。
母の兄弟は皆高齢だし、いとこ達に声をかけるのも申し訳なく、結局法要は誰も呼ばず、父と姉弟夫婦だけで済ました。
今回は初めての経験というものをいろいろとさせてもらった。葬儀自体ももちろんだが、その後の法要に伴う雑事について、また墓建立に当たっての業者との交渉等々。
父親の時は、もう少し要領良くできるだろう。

ハイデルフォーラムをのぞく

ハイデルのユーザー会なのだろう。私は初めて出席した。会場のRホテルが見つからず、遅れてしまった。私が記憶していたのは別のホテルであった。
テーマは「印刷業におけるブルーオーシャン戦略」。あらゆる産業の多くの企業は、レッドオーシャン(赤い海)で「しのぎ」を削っている。限られたパイを奪うために、終わりなき価格競争を戦っている。技術の進歩は、製品のコモディティ化に拍車をかけ、「血みどろの」競争を繰り広げている。ここから抜け出す戦略が必要。競争相手のいない(少ない)市場の創出、価値を高めコストを下げる、差別化を追求する戦略の構築…それがブルーオーシャン
昨今の「業態変革」をより強烈な言葉で語っているような気もする。御説ごもっともだが、3時間は疲れる。不覚にも居眠りをした瞬間が何度かあった。講師の先生、失礼しました。
この1週間、禁煙しているが、やけに眠たくなる気がしている。

間もなく四十九日の法要

初七日から始まり四十九日で一区切りという知識は何となくあったが、実際に体験するとあまり分かっていなかった。
だいたい、初七日の次は二七日(ふたなのか)、次に三七日(みなのか)と続き七七日(なななのか)が四十九日に当たるということは、説明を聞けばなるほどだが、知りませんでした。ごめんなさい。
四十九日までは「死者の霊魂がさまよっている」などという話を聞いたりしますが、我が家の浄土真宗では違うそうな。浄土真宗では、「生前から念仏に出会い、疑いなく信心をいただいた者は、臨終の次の瞬間には浄土へ往生する」と教えられているそうです。これも知りませんでした。
親戚や職場の同僚・上司の葬儀をお手伝いすることは何度かあった。何となくつかんでいると思っていたが、当事者となると全然別物だった。
五十代の半ばになって言うのも気恥ずかしいが、今回は勉強になった。何度も経験したいわけではないけれど・・・。

家紋はどれだ?

母の葬儀の際、葬儀場の担当者から家紋を尋ねられた。はたと困った。母なら分かったかも知れないが、もう聞けない。
父のネクタイに付いていた紋と、姉の結婚前の喪服の紋が一致したので、「丸に五三の桐」で今回の葬儀は通した。
葬儀後、本家の墓にお参りした時、違う紋が付いていることに気づいた。