母の最初の月命日

母が亡くなってひと月が経った。しんどい一ヶ月だった。
最近の病状からなんとなく予感はあったが、やはり早すぎた。享年84歳という年齢だけで言うと、それほど不満のない生涯と受け取られるかもしれない。だが、その1/4以上は病いとの闘いに費やされた。
我々子供達が自らの家庭をなんとか築き、少しは親のことを考える余裕ができた頃は、すでに体の自由が思うようにいかなくなっていた。
弘前の桜をもう一度見せてあげたかった。

晴天に誘われて八剣山へ

連休2日目の5月4日、お天気に誘われて家を出た。
南口には結構な数の車がある。
昨年は4月の末に訪れたが、登り口付近は雪が残り湿っていた。今年はさすがにすっかり乾いていた。
ここ1、2年は出かける機会も少なくなったせいか、足の衰えを感じる。無理をせず、ゆっくり歩くように心がけるが、最初の10分ほどはかなりこたえる。
途中に間違って迷い込みそうな箇所がありいつも気をつけていたが、私だけではないとみえ、立ち入り禁止のロープが張られていた。ようやく・・・といったところ。
ゆっくり登ったつもりだが、40分ほどで山頂に着く。かなり虫が飛んでいて煩わしい。
頼まれもしないのに、グループの写真撮影をかってでる。
一服してすぐに下山。下りは30分くらい。いつもとかわらない。
往復に1時間ちょっとという手軽さがこの山の魅力。

2007年度最初の山行は藻岩山

久々に藻岩山に登った。冬山は、はなからやる気はないが、ここは冬期間も山道が確保されている。慈啓会病院隣の駐車場は夏場と同様に溢れていた。
気温も高く、ジャージにパーカーをはおり、ゴム長で歩いた。このジャージもパーカーも、長男が結婚前に使用していたものであるから、10年以上の年季が入っている。まだ重宝している。ゴム長靴は年末に新しいものを調達した。雪かき用に業務用の頑丈なやつを買った。暖かく、滑らずなかなかなものだが、中で足が遊び踏ん張りがきかないという欠点がある。特に下りはつま先にしわ寄せが行き痛い。
すれ違う人々は皆、中年から老年の方々。夏場でもそうだが、この時期は更にその傾向は強くなる。365日、毎日登っている人がいると、聞かされたことがあるが、山に登るというよりは散歩に近いのだろう。それが理解できる山だ。
観光用自動車道があるので、頂上で必ず観光客と遭遇する。それだけを我慢すれば手軽に利用できる好ましい山である。山頂で小休止し、ちょうど2時間程度で帰ってこられる。
今年はできるだけ出歩きたいと思っている。

正月休み雑感

29日から休みに入り、今日はすでに2日。毎年のことだが、あっという間に日が経過する。

大晦日に母を見舞った。今回は久しぶりに目が覚めており、私の顔を見て微笑んだ。胃瘻(ろう)の処置をして以来、満足な会話をしていなかったので、ほっとした。
最近は声も聞きづらく、意味不明の話になったりすることも多いが、この日は比較的まともだった。
パーキンソン病が進行し、寝返りも打てず、手足もだんだん硬直し、おまけに口からの食事も摂れなくなってしまった。自分自身つくづく情けなく思っているだろうが、泣き言も言わぬ母に会うのは本当に辛い。毎回のことだが、頭を櫛で梳いてやり、手足をさすってやることしかできない。

父の衰えも着実に進んでいる。一昨年、通帳や印鑑を3度続けて紛失して以来、半ば強引に預かり日をおいて少しずつ金を渡すという日々を続けてきた。普段は忘れているが、偶数月の15日(年金支給日)が近づくと突然記憶が蘇り、「通帳を返せ」「だめだ」というやり取りを最近まで繰り返してきた。
ところが先月(12月)は一度も話題にのぼらなかった。冬道になり、出歩くのが辛くなり買い物症候群が、なりを潜めているいるせいもあるが、まったく言い出さないと逆に心配になる。

本日(2日)例年通り、息子夫婦が孫を連れて年始に訪れた。お嫁さんのお腹には3人目が宿っている。今の時代、3人も子を産もうとするのは表彰ものである。
職に就いて10年を経過した息子は、4月から大学院にいけることになったという。理解のある職場の皆さんに感謝すると共に、親馬鹿かもしれぬが息子夫婦にも感心する次第である。

年末の憂鬱

12月28日、仕事納め。
前日まで残業が続いた。全体としては低調な師走の営業であったが、制作部門は追われていた。
去年が少なすぎたが、今年は頁物が溢れた。市町村史、学校記念誌、大学紀要類、遺跡報告書、そしてこの時期は高校の生徒会誌・旅行記である。営業的には頑張ったというところだ。
それにしても、最近の生徒会誌にはつくづくあきれる。
面白可笑しく作りたい気持ちは分からぬでもないが、高校生であれば少しは「まともな文章を書いてくれ!」と言いたくなる。
携帯の弊害であろうが、どの学校も絵文字(しかもオリジナルの)のオンパレードで、さらには文章の行間に別の文章をルビ風に書き込んでくるとんでもない学校(なんと、その学校ではそれが伝統?!だそうな)もあった。
いつの時代も例外的な生徒はいるものである。それくらいは理解できる。しかし、それを学校単位で総力を挙げてやる感覚にあきれる。
生徒の質は教師あるいは学校の質の反映である。言ってはいけないのかもしれないが、予算と納期を考えてくれ、というのが正直なところである。

と、酒の勢いで書いてしまったが、仕事に事欠いて、そんな物件を唯々諾々と受注してくる我が社の営業の質の問題であるという現実に思い至り、憤りもしぼんでしまう。
とりあえず年内の仕事は終了。

国産の組版専用システムの危機(2)

12月3日の続きである。数日前にモトヤの販売代理店で私たちのサポートをしてくれているF氏が訪ねてくれた。当然話題は、ELWINのVISTA版開発中止の件である。
実際の開発をしていた九州松下が、次期バージョンを作らないというだけでなく、XP版の供給自体を停止するわけで、代理店としても苦しいところだろう。
XP版の在庫が約160パッケージあり、それを売り払ってこの業務から撤退するということだが、ユーザー側からすると随分勝手な話に聞こえる。
商売として難しい状況は想像に難くないが、自分たちが果たしてきた役割を簡単に考えてほしくない。日本語の組版というのは長年にわたり築いてきた大切な文化ではないのか。
身を引くにしても、ユーザーに対し何らかの方向性の提示があってもよいのではないか。
・・・などとムキになっても虚しいだけだが・・・。
私の会社では、数台のNT版のリースアップの次期を来年迎える。少ないXP版のパッケージを確保し、XP版で環境を統一した上で次の準備をするか、金をかけずとりあえず対象機を再リースして次の準備を始めるか。
いずれにしても新しい組版アプリを決めなければならない。Adobeを太らすのは悔しいが、現状ではInDesignを選択せざるを得ないような気がする。
Macチームはすでに文字ものではInDesignを使用している。Winチームも同一アプリを使用することにより、データの汎用性が高まり、他メディアへの流用がしやすい環境になることはプラスである。
だが現状の組版機能では、専用システムの能力を当然のものとして利用してきたWinチームには力不足である。Pluginを組み合わせて何とか補わなければならないが、なかなかベストが見つからない。今後増えていくことを期待したいが、基本的にはマイナスをあげつらうより、プラス面を生かす道を探す方向に発想を変えていくしかないのだろう。
それにしても、写研とかモトヤのような会社が、貴重なノウハウをPluginの開発・提供に生かしてくれれば評価も変わるのにと、考えるのは無理があるだろうか。

喪中のはがき(2)

S氏の奥様からはがきが届いた。S氏が亡くなった。92歳だった。
氏とは前の職場で数年一緒に過ごした。私が20代から30代にかけてのことだから相当古い話である。国鉄を退職した後に、経理・総務担当としてやって来た。年の離れた生意気な若造だった私にも気さくに声をかけてくれた。
氏を呼んだ社長が退任するとき共に退職したが、その後写真植字協同組合という団体の事務局長として社に社に出入りしていたので、結構長くお付き合いをしていた。
事務局を引退した後も、賀状のやり取りは続き、数年に1度くらいは顔を合わせる機会もあった。最後に姿を拝見したのは一昨年の夏頃だったか。藻岩山に行く途中の車から氏の姿を見かけた。声をかけそびれたが、元気そうな様子だった。
痩身であるが、実に元気な人だった。エレベーターには乗らず、階段を2段ずつ上ることを自らに課していた。
毎年新年に、力強い毛筆の賀状を見て安心していたが、残念ながらもうその機会はない。
心からご冥福を祈る。お疲れ様でした。